『真夏の怪/骨董屋変』【3-3】
「警察のほうは?」 「やはり、事件性はないとの見解です。監察医務院による行政解剖の結果では、朝凪老……朝凪氏は、熱中症による多臓器不全で亡くなったということです。ここ数日の暑さで、食欲も落ちていたのでしょうね。水分は摂っていたようなのですが……」 「確か、体調に不安があったんだよね? 弱っていたところに、この猛暑か。老人には厳しい環境だよね」 「そうですね。熱中症の怖いところは、感覚が麻痺するのが先なので、気がついた時には倒れていたり手遅れだったりするところです。暑さで、しかも屋内で死ぬなんて、昔はなかったのかもしれませんしね……」 年々、東京の亜熱帯化は深刻になり、熱中症による死者も増えている。 そして、高齢者の死亡数が圧倒的に多い。 若年層では、屋外作業やスポーツなどによる労作性の熱中症が多いが、高齢者に多いのは、熱波による古典的熱中症と呼ばれるものだ。 これは、屋内でただじっとしていても起こりうる。 高温となった室内にいて、知らぬ間に体温が上昇する。しかも汗はかかない。汗をかかないということは、体に籠った熱が外に出ていかないで蓄積されてしまうということだが、それに気づかない。 寧ろ、熱中症に陥った者は寒気を感じていたりする。 「……ちょっと待って。あそこには冷房があったでしょう? 結己だって使ってたくらいなのに」 「そのことなんですが……」 起立を促され、言葉が途切れる。 光が降るようなオルガンの音色で聖歌が奏でられ、聖歌隊のリードに合わせ、列席者が辿々しく歌う。 蘇芳は、黙って聞いていた。 結己は葬儀ミサの栞を手に、眉間に微か皺を寄せている。どうやら歌は苦手らしい。 唇を動かしてはいるが、音は聞こえない。 困った様子である。 蘇芳はそれを微笑ましく思う。神を讃える言葉を持つことは、幸いである。 この子らには幸せになって貰いたいと……、いつも、切に願っている。 長い尾を引いてオルガンが止み、また着席する。 「あの家に、クーラーなど無かったのですよ」 ぽつりと結己が呟く。 騒めきの残る蘇芳の耳に、その言葉は奇異に響いた。 「一台もね」 *
喪主の挨拶と献花を以って、葬儀ミサは恙無く終了した。 勿論、遺族などいない。弁護士の一宮が代表として、列席者に短く謝辞を述べるに留まった。 一宮は背の高い若い男で、弁護士でなければ代議士か政府の要人か、というような威圧感を全身に滲ませているのだが、結己によれば、どうも見掛け倒しらしい。 一見すると堅苦しく融通が利かないようだが、口を開けば、物腰が柔らかく、驚くほど人が善いのだそうである。 外見と内面のギャップが面白いのだと、可哀想な言われ様をしていた。 献花は、棺の上に薔薇の花片を散らすものだった。 これも巳結の発案なのであろう。美しさと儚さ、悲しさといったものが相俟って、その後、長く心に残る事となった。 棺を見送り、朝凪に別れを告げた。火葬場へは二人とも遠慮する。 結己に気づき、棺に寄り添った一宮が軽く会釈して見せた。 棺の上から零れ落ちる花片が、幻想的であった。 一宮たちの後ろを、小さな子どもがついて行くのが蘇芳には見えた。 その姿は人形のようであった。 教会の外に出ると、まだ少し雨が降っていた。 穏やかな雨だと蘇芳は思う。 何時の間にか、薄日も差している。 狐の嫁入りとは、少し違うだろうか。ただ、晴れてきたということだろうか。 葬儀だというのに、不思議な穏やかさを感じていた。 年若い者の早世は悲痛だが、老年にもなれば、死は安らぎであるかもしれない。 だからだろうか。 蘇芳にとって、死とはただ過ぎ行くものだ。 命が手から零れ落ちる。いつも、その虚しさばかりが心に残る……。 朝凪とは、生きて会う事はなかった。そのせいで、何の感慨も湧かないのだろうか。 結己によると、あの建物のどこにも、冷房設備は無かったそうである。 涼を得る機器といえば扇風機だけであり、部屋を冷やすほどの能力には欠ける。 だが、蘇芳も感じた通り、扇風機だけでは説明がつかぬほど、確かに建物内は冷えていたようだ。 その点では、検屍にも疑問が生じたようである。 筋肉の硬直や死斑などの状態から得られる情報と、腐敗の進行度には、明らかな齟齬がある。然し乍ら、人為的な細工などの証拠はどこにも発見されなかった。 近年、科学技術の発達は著しい。科学捜査で解明出来ないことはないように思える。 だがしかし、目に見えるものばかりが全てではない。数字や情報(データ)だけでは推し量れない物事も、確かにこの世には存在する。 ひとそれぞれ、目に見えるものも違う。 得てして、都合の悪いものは見えなかったこととして人の脳は処理する。その、「都合の悪い」ものの幅は、それぞれに違う。 蘇芳は、それをよく知っている。 |
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