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『真夏の怪/骨董屋変』【2】

『真夏の怪/骨董屋変』


 弐:口入れ屋「楸(ひさぎ)」


 東京神田。
 楸結己(ひさぎゆうき)は、この街に事務所兼住居を構えていた。
 老朽化した社屋をSOHO向けに用途転換(コンバージョン)したビルで、昭和の面影を残す建物には独特の雰囲気が漂っている。修復の際に設備などは全て新しく取り替えられ、外装内装共に手を加えられてはいるが、建物の持つ魅力を損なわない気遣いが随所にみられた。
 以前は、その古さから幽霊が出るなどとの噂が立ち、近隣からも解体を望む声があったのだが、今では入居待ちリストが出来るほどの人気物件へと変身を遂げた。
 夜、淡い色合いの街灯に浮かび上がる姿は、やや厳めしく、そしてどこか誇らし気に見えた。

 入り口のステップを軽やかに上がり、装飾の施されたドアを押し開けて、蘇芳(すおう)は口入れ屋「楸(ひさぎ)」を訪れた。
 目当ては五階にある。
 塔屋に設けられたエレベーターは避け、専ら建物中央にある螺旋階段を利用している。
 エントランスと螺旋階段の美しさを、蘇芳は気に入っていた。
 「なんだ、冷房が入ってる」
 ドアを開けるなり、蘇芳はそう言った。
 「どういう心境の変化なんだか……。これなら真直ぐこっちに来るんだった」
 結己(ゆうき)は冷房嫌いで、よっぽど暑い日でもその便利な道具を使いたがらないのだが、この様子ではどうやら主義を変えることにしたか、変えざるを得ない出来事でもあったようだ。
 「快適にしておくと長居するでしょう」
 蘇芳の呟きに、結己はそう返した。
 長居するのが相談に訪れた客なのか蘇芳なのかは、言わずもがなである。
 調べ物をしていたのか、デスクの上にはファイルが数冊、置かれたままになっている。
 楸結己は、目立たない容姿の青年だ。
 スーツにネクタイ、そして眼鏡。個性と呼べるのはそれで終わりである。顔形や髪型、体型、どれをとってもあまりにありふれていて、人の印象に残りにくい。
 だが、外見で個性を競う現代にあって、結己は敢えて周囲に埋没することを選んでいる節があった。
 「はい」
 蘇芳は無造作に紙袋を差し出すと、来客用ソファーに腰を降ろした。
 「なんですか、これは」
 仕方ないといった体で受け取りながら、結己が訊ねる。
 「なにって……」
 「まさか、ただの土産とは言わないでしょう? 今度は一体どんな厄介事を持ち込むつもりですか?」
 「相変わらず、結己は勘が鋭いねぇ」
 蘇芳は人好きのする笑顔を満面に湛え、悪怯れもせず言い放つ。
 「本当は結己の好きな練切にしようと思ったんだけど、あんまり暑くて発売中止なんだって。だから干菓子ね」
 誰もそんなことを聞いているのではないのだが、この男には言っても無駄というものである。
 結己も慣れたもので、ため息をひとつ吐いただけで追求はしない。
 マイペースな男は、「ところで、ちっちゃいのはどこ?」と周囲を見渡している。
 ちっちゃいの、とは結己が飼っているコザクラインコのことで、明るい若草色の体に朱色の顔をした小鳥である。
 アフリカ原産の輸入種なのだが、色変わりが多く、飼う者の目を楽しませる。結己が飼っているのはスタンダードカラーで、和をイメージさせることから「和菓子」や「練切」「ちっちゃいの」「小鳥」など、適当な呼ばれ方をしていた。まだ正式に命名されていないのだ。
 「もう寝てますよ」
 結己の視線の先を追って見ると、布の掛かった塊のぶら下がるポールがある。
 勿論その塊は鳥籠で、夜になったので、布を掛けて小鳥を休ませているのだった。
 「なんだ、つまんないの」
 蘇芳がそう言うと、自分が話題に上っていると知ってか、はたまた突然賑やかになったことを驚いてか、小鳥は「ピチュ」と一声鳴いた。
 「ちっちゃいのは相変わらず元気そうだね」
 珈琲を淹れて戻った結己は、その言葉に眉を顰めた。
 「それが……。このところの暑さで参ってたみたいで、試しにとクーラーを入れたら、やっと食欲が戻ったんですよ」
 「じゃあ、冷房はそれで?」
 「そうですよ」と答え、結己はため息を漏らす。不本意だが仕方ない、といったところか。
 この小鳥は、恋人に押し付けられ、嫌々飼うことになったという経緯がある。
 だが、今やすっかり溺愛している事は蘇芳も知っていた。
 「ふぅん? ということは、ちっちゃいの様々だねぇ……」
 そう呟きながら、これからは「小鳥様」と呼ばなくちゃいけないな、などと考える。
 「ところで、そろそろ本題に入っていただけませんか?」
 蘇芳の前に珈琲を置き、結己はそう言った。


 「……それで、慌てて奥に行ってみたら、本当にあったわけ。死体が」
 蘇芳は暢気に言うと、自分が買って来た干菓子を摘んで口に放り込んだ。
 まるで「そこに椅子があった」とでもいうような口振りである。
 「初老の男性でね、完全に死んでるのは見て分かったけど、振り返ったら女の人は消えてるし……」
 「それで?」
 結己は蘇芳の向いに座り、話を聞いている。
 時折、目に見えない何かを捉えるように目線を彷徨わせるのが、奇妙といえば奇妙である。
 「仕方ないから、隣の家に駆け込んで救急車呼んでもらったよ」
 「そう……」
 「そこにいてくれって言うから、お隣のおばちゃんと話しながら待ってたんだけど。警察も一緒に来て、事情聴取されちゃったよ」
 その言葉に、結己は少しばかり眉根を寄せた。
 「女の人のことは話したんですか?」
 「話したよ。そしたら何か胡散臭がられちゃって、『署までご同行を』とか言い出すから、用事があるって言ってバックレて来ました」
 語尾にハートが付きそうな口調である。
 結己は額に手をやる。まったく頭が痛い、と思う。
 蘇芳のほうが結己より年上なのだが、まるで大人気ない。
 その上、自分の言動が多少ならずとも周囲を混乱させるという自覚にも欠けている。
 それが原因で無駄にトラブルを引き起こしているのだが、本人はあまり気にしていないようである。
 「救急車を呼ぶ機転が働いていながら、どうしてそんなバカな発言が出来るんですか?」
 これは質問ではなく、愚痴のようなものだった。
 本人は一向気にせずトラブルの種を撒き散らしているが、それを刈り取るのはいつも結己なのだから無理もない。
 だが、その事に関しては蘇芳も思うところがあるらしい。
 「そうなんだけどさ~。救急車とか来るの遅くて、つい手持ち無沙汰におばちゃんと話し込んじゃってさ……」
 長話が高じて、言わなくていい事まで話してしまったらしい。
 店主が店で倒れていたならばまだしも、奥向きでならば、何故そんな所に入って行ったのかと尋ねられるのは筋である。
 『欲しい物があって、声を掛けたが返事がない。それでちょっと覗いてみた』という話が、途中から『実は、着物の女性が、店の主人が奥で亡くなってるって言うから……』などと変化したら、それは誰しも不審に思うだろう。
 しかも、その女性はいなくなってしまったのである。
 近所の者に聞いても、誰もそんな女は知らないという。
 『琥珀』の老店主は独身で、自分は天涯孤独なのだと言っていたらしい。
 そして、それ以外の事は何も話したがらなかった。
 『戦争や震災がありましたからね。何か、辛い事でもあったのだろう……と、誰も、何も聞けなくてねぇ…』とは、隣家の女性の言葉である。
 だから、訳知り顔の女の存在など、初めからどこにもないはずなのであった。
 仮に、その女が客や通りすがりの者だったとしても、何か不自然であるし、妙である。
 嘘をついていると思われても仕方のない状況を、蘇芳は自ら作り上げてしまったことになる。
 「それで、第一発見者から不審者に格上げされては世話がないですね」
 「面目ない」
 蘇芳は、肩を竦めてみせた。
 「僕を身元引き受け人に指定したんですね」
 これも質問ではない。
 「うん。だって、そういう契約でしょ」
 おかげさまで助かりました、と蘇芳は笑みを向けた。
 対する結己は、苦虫を噛み潰したような顔になる。
 どうしてそんな契約を結んでしまったのか、後悔というものは先に立たずである。
 結己に蘇芳を引き合わせた者の老獪な顔が目に浮かび、恨みがましい気持ちが沸き起こる。
 だが、彼の人は、結己に荷物を背負わせることを楽しんでいるので、恨んだところで逆に面白がらせるだけである。
 まったく遣り切れない、と結己は思う。
 「おかげで、こちらは仕事が増えましたよ」
 結己は、今日何度目かのため息を吐いた。




 楸結己(ひさぎゆうき)は口入れ屋である。
 人に人を紹介し、何か困った事が起これば相談に乗る、問題を処理する。そういったことを請け負っている。
 だが、現代にそんな名の職業はない。
 強いて言えば、まとめ役(コーディネーター)や相談役(コンサルタント)といったところなのだが、やっていることは村の肝煎である。コーディネーターやコンサルタントを名乗るのも烏滸がましく思い、かといって肝煎というのも何だかおかしい。では、口入れ屋というのはどうだろうということになった。
 口を利くのだから丁度いい。どうせ通り名のようなものだから。そんな理由で、口入れ屋を名乗ることと相成った。
 蘇芳(すおう)とは、この仕事を始めた頃からの付き合いである。
 なにせ記念すべき依頼人第一号であるのだから、浅からぬ縁である。
 「現実的な話からしましょうか」
 結己はそう切り出した。
 「まず、所轄の担当者から連絡が来ました。蘇芳の照会は済んでいます。それと、『琥珀』の弁護士を存じ上げておりましたので、あちらに紹介しました」
 「それはまた、都合のいい話だね」
 二人は、思わせぶりに視線を交わした。
 「ええ……。『琥珀』の店主である朝凪(あさなぎ)氏とは、巳結(みゆう)の紹介で知り合ったのですが、弁護士が必要とのことでしたので、僕が紹介したんです」
 巳結とは、結己の叔母である。年が近いせいもあって仲が良い。
 「弁護士は一宮(いちみや)というのですが、彼とも連絡を取り、何か分かったらこちらにも連絡が来るよう手配してあります」
 蘇芳は、デスクに置かれたファイルに目を遣った。
 彼が来る前に、一通りの仕事は済んでいたようである。
 「それで、他には?」
 蘇芳が先を促す。
 その顔は、どこか楽し気ですらあった。
 結己は、厭そうに顔を顰める。
 「一宮の話では、朝凪老は体調を崩し、身辺整理に取り掛かっていたという話です。それで弁護士が必要だったんですね。警察の話も併せると、やはり老衰、もしくは病死といったところだと推測されますが……」
 「たぶんそうだと思うよ。あれは事件性はないね」
 妙な確信でもって蘇芳は言う。
 「おそらくは。でなければ、蘇芳は今ごろ容疑者として身柄を拘束されているでしょうからね」
 「それで?」
 二人とも、『琥珀』の店主、朝凪の死に関しては自然死を疑っていない。
 仮に事件性があり、他殺だとしたら、それは口入れ屋が関わる問題ではない。警察の領分である。
 「やはり、その女性の存在が気になりますね……」
 結己は呟いた。
 「何か分かったの?」
 「この件には、巳結が関わっているようなのですが、まだ彼女とは連絡が取れていないんです」
 「みゅーちゃんどうかしたの?」
 蘇芳は、巳結のことをそう呼んでは嫌がられているのだが、どうにも懲りない様子である。
 結己が幼い頃、舌足らずに呼んだのが始まりなので、彼としては苦笑するよりほかない。
 「いえ、工房に籠っているのでしょう。数日前にそんなことを言っていましたから」
 「手が離せないってことは、いちまさんか。……あれ? そういえば、あのお香はみゅーちゃんとこのかな?」
 巳結は、個人的に市松人形の修復などを行っていて、時々工房に籠り切りになってしまう。
 また、人形の衣装製作を生業としているのだが、着物には匂い袋を付けて渡すのが常である。
 蘇芳は、着物の女性から薫っていた香の匂いを思い出していた。
 「そうですね。蘇芳からその匂いがするのは確かなんですが……」
 結己は、曖昧に言葉尻を濁す。
 彼には特異な能力があり、それは「匂い」に特化している。
 普段は厄介なだけの力だが、時には問題解決の糸口となることもある。
 「それが何を意味するのかまでは、まだ判断しかねます。巳結絡みの品が、何か店にあるのかもしれませんし」
 「そうだねぇ……」
 「明日にでも巳結と会ってきます。一宮とも連絡を取りますから、くれぐれも蘇芳は勝手に動かないで下さいね」
 もう一度『琥珀』を覗いてこようかな、などという蘇芳の目論みは、呆気無く看破され、駄目を押された。
 このままただ様子を見ていればいい他人事に、わざわざ首を突っ込む羽目に陥るのは、偏に蘇芳の好奇心を満たすためだけである。
 放っておくと何をしでかすか分からない蘇芳を抑え込むには、それしか手がない。ということを、結己は嫌というほど学んだ。
 因果である。
 干菓子をお茶請けに珈琲を味わいながら、結己は報われる日が来ないのを薄らと知っているような気がした。
 珈琲は、すっかり冷めてしまっていた。